野生のイルカと泳ぐ ドルフィンスイム等、世界の絶景ジープ島(JEEP島)の話題が満載。

ジープ島、Jeep島

ジープ島、Jeep島、第11話~第15話
HOMEの中の冒険ひろ吉の部屋の中のVol.3 第11話~第15話

ジープ島、Jeep島、冒険ひろ吉の南方楽園記:『裸足のままで』

ジープ島、Jeep島、第11話 面白い!実に面白い!!キミシマ環礁!!!(2003年10月)

本日キミシマ環礁にて新たなポイントを見つけました!キミシマにおいてはこれで5つ目になります。ちょっと整理しておくとブルーチャネル・アンティアスロック・エッジオブクオープ・ブルーウォールそしてNEW POINTとなるわけです。このポイントはアンティアスロックとエッジオブクオープの間にある外洋側の壁です。どちらかというとアンティアスロック寄りの一つの大きな岩を目印にしてエントリーし、エッジオブクオープ方向に流して行きます。
これだけ言えばクラブジープのメンバーであれば、すぐにおわかりになると思いますが・・・もしわからなければ教授の作った8ページもののパンフの地図をじっくりと見てみてください!ちなみに45歳以上の方は老眼鏡を付けるか虫眼鏡でも使って見てください!近頃私は目が遠くなり、イルカを見つけるのには自信があるんですが、辞書関係が全くお話になりません!年は取りたくないものです。

話が大幅にずれてしまいましたがこのポイントの何処が面白いか?というと、まずヘルフリッジとアケボノが何匹も比較的浅いところにいるということです。私の今までの記録はブルーチャネルの手前の壁で17mというのが最浅記録でした。ところが先日このポイントでこの記録がものの見事に破られました!なんと16mのところにしっかり2匹いました。
そのほかにもスミレナガハナダイがウジャウジャいて、カスミチョウチョウウオが20mくらいのところに固まっていて、青マスクにいたっては数えるのが嫌になるくらいで、おそらく潜っている間に100匹以上は見れてしまいます。そのほかモンガラカワハギ・フレームエンジェルフィッシュ・バートレットアンティアス・アカネハナゴイ・ハナゴイ・オドリハゼなどがいます。外洋側には時折ツンブリの群れやバラクーダやウメイロモドキ・海亀などを見ることができます。透明度は常に40m以上あり、流れがほとんどないので初心者でもOKです。

遂先日ある南方狂熱病に冒されたジープ島ファンの男性にサンドパラダイスとどっちがきれいなんですか?と聞かれたので、これはどちらも甲乙付け難たいんですね?私自身も迷っている次第なんです。それでも良くわかってもらえなかったので・・・より具体的にと「いわゆるキャビアで言えば、ベル−ガ・シャンペンで言えばドンペリ・野球界でいえばやっぱり長島茂男でしょうね!と言ったら、余計にわからなくなった!と言われてしまいました。

そこでよりわかりやすい例えで「いいですか?ある日いい女と出会って一夜を過ごしたとします!事が終わった後に眠くなりますね!寝ようと思っていたんだけど矢も立てもたまらず、またいたしたくなる女!これがいい女なんです!!ではダイビングポイントではどうでしょう?一度潜ってたいへん満足しますね!所がボートに上がってタバコか何かをふかしながら、ぼんやりしている内にまたまた思わず矢も立てもたまらず、もう一度潜りたくなるポイント!これがいいポイントなんです!!

ですからいい女!いいポイントというのは楽しんだけれど・・・何処かに離れたくない!いつまでも一緒にいたい!!というような、いわゆる切なさ或いは哀切というようなものが込められているんです。わかりました???」と言ったら、おもむろに腕を組んで空を見上げながら・・ナ−ルほど!「じゃーダイビングも女も結構つらいものなんですね!」と来たから・・・駄目だ!こりゃー!!
その後彼はやはり完全にそこにはまってしまい滞在中3度ほど「またやりたい!じゃないまた行きたい!!」を連発していた。
ひろ吉のNEW POINTレポートでした!!おわり・・・

ジープ島、Jeep島、第12話 アルパ物語 (2004年5月)

空は4日前からのストームでどんよりとした黒い雲が垂れ込め、海を灰色にしていた!来る日も来る日も風が吹き大雨が降り海が荒れ、我々は海に出ることが出来なかった。ホテルの一室に垂れ込め、私は毎日読書に耽りカメラマンは毎日ジュラルミンケースの中をいじくりながら、まるでおもちゃ箱でも覗くようにカメラの手入れをしていた。
5日目の午後にようやく雨が上がり、2階のバルコニーに出るとすぐ目の前で椰子の若い新緑の葉が風に揺れていた。しばらく外を見ているとその葉に2羽の小鳥が止まった。体はすずめほどの大きさで色は半分が真っ赤で後の半分が真っ黒というもので、口先が細く花の蜜を吸いに来るミツスイだった。そしてその2羽が仲良く美しい声で鳴きながら毛ずくろいしている様子が見えた。バルコニーの下を見下ろすと大雨のあとに穴から這い出してくると言われているカニを現地人が大きな袋を持って広い集めていた。
しばらくして部屋に戻り、昼寝をした後、冷えたコーヒーをすすりながら窓越しに再び外に目をやると、先ほどのミツスイの数が増えているのに気ずいた!そして、その右側の大きな椰子の葉がうなだれた茎の所に更に茶色と白の別の鳥たちが止まっているのが見えた。私はすぐさま部屋に戻り「鳥たちが海岸に戻ってきている!このまま海が穏やかになる証拠だ!!明日は海に出よう!」とカメラマンに告げた。

夕方二人でホテルの桟橋近くにあるバーに出かけた。未だ南西からの風で荒れている海を見ながら、最初にコロナビールを一杯やりジントニックを飲んでから、褐色のウエイトレスにクラムチャウダーの大盛りとフィッシュアンドチップスとパスタを一皿注文した。しばらくして部屋に戻り、地元の新聞に目を通して更にウイスキーソーダを2杯ほど飲んで床に着いた。しかしその夜は中々寝つかれなかった。ストームの影響でフライトがキャンセルになり、来るはずのツーリスト達が何日もグアムで足止めになっているのがやけに気になっていた。

翌朝、私は賛美歌の歌声で目が覚めた。既に感謝祭が終わり12月に入ったのでクリスマスの準備の為に、環礁外の離島からキリスト教の様々な宗派の人たちが本島のホテルに集まって来ていた。カメラマンは既に起きていて、やはりカメラの手入れをしながら窓越しに「雨雲が多すぎる!陽が差さないと難しいんだ!!沈船は・・・」と一人呟いていた。
私は気ののらないカメラマンを説得してダイニングに出かけ、コーヒーとトーストとベーコンと半熟のボイルドエッグとハッシュブラウンポテトを口にほおり込んで、ホテルの敷地内にあるダイブショップに出かけた。しかしそこには嵐の為か数人のスタッフしかいなかった。その中に知り合いのナミがいたので声をかけた。気の乗らないナミに$20のチップを渡し、船を出してもらうことにした。そして我々はどんよりと低く垂れ込めた雨雲の下、トラック環礁の海底に沈む沈船を目指した!

海底34mの深さに全長135mの船が横たわっている!船首(BOW)に向かって、右側のほぼ中央の船底近くに魚雷が一発命中し沈んだものと思われる。その穴の傷跡は水面から潜行して行った場合、通常目にすることはない。12月半ばくらいから3月までの環礁内の透明度が著しく増す時期に潜行すれば、真下に横たわる船を一瞬にして見ることができる。その姿は全く無傷のまま沈んだように思える程である。その前景を留めた沈船の美しさは全く目を見張らせられるものがある。以前はマストが水面から2m程突き出していたが、あるとき酒に酔った現地人が船の操縦を誤り、マストに激突して折れてしまったらしい!たいへん残念でならない。
前景の美しさ・船首の美しさ・回遊魚(バラクーダ・ギンガメアジ・ロウニンアジ・カスミアジ・ナポレオン・ツンブリ・イソマグロ・・・)の多さ・幻想的なエンジンルーム・まるで時間が止まったかのようなメモリアルプレート寄りの回廊・船尾(STERN)の下にある大きなスクリュー・下から見上げて見える数千匹のスズメダイに覆われた突き出た船首・・・何もかもがこの一隻の沈船に凝縮されているように感じられる。
何度も潜っても潜り飽きない船である。

12月のクリスマス前から海の青さが変わり始める!8月の暑い環礁の濃い青から、貿易風のさざなみによるキラキラと青白く輝く美しい青へと変貌していく。今は澄みきった環礁内を見れる季節でもある。
我々は船の中央にあるブリッジにアンカーを打ち、ボートを固定して準備に取りかかった。事前にカメラマンとは船の上で撮影場所の順番を決め、お互い見える位置をキープしながら進もうということになった。先にカメラマンが入り私がカメラを渡し、3台のカメラで撮影することになった。私もすぐにタンクを担いで潜行し、アンカーを打ったブリッジでカメラマンに追いついた。そこで一旦「止まれ!」の合図を出し、最初の撮影場所を指差し、マスク越しにもう一度サインを送った。すぐにカメラマンの目は私をとらえ、大きくうなずいた。そして再びOKサインを出し、水深18mの船のほぼ中央に位置しているメモリアルプレートの向かった。そこにはこのように英語で記されてあった。
「1944年2月17日に沈む!」と・・・・・・

そのあと我々は船尾方向に向かいデッキの回廊に入った!その回廊の天井にはダイバー達の泡が張り付き、多くのソフトコーラルや色鮮やかなウミウチワが揺ら揺らと揺れていた。ゆっくり進むと船倉の中から数匹の大きなコバルトブルーのカスミアジが目の前を通り過ぎて行った。そこは外から遮断されたような空間であり、たいへん幻想的で且つ静止した60年前の時を思わせるような雰囲気をかもし出していた。
我々はデッキを抜け、次ぎにマストに向かった。しばらく進むと大きな十字架状のマストが前に立ちはだかった。マストの左側には数百匹のギンガメアジの群れが渦巻いていた。その先を大きなマダラトビエイが飛び去るのが見えた。やがて船尾に着き、そこを回りこんで更に水深30mのスクリューを見に行った。スクリューの下は一面白い砂地で、そこにもまるで絨毯でも敷き詰めたようにぎっしりとギンガメアジが群れていた。そのあと更に海底32m地点まで行き、船の下をくぐり抜け、そのまま回りこみながら斜めにデッキの23m地点までゆっくりと浮上した。それから船倉に入りエンジンルームに向かったが、陽が差しこんでいない為、中はどんよりと薄暗かった。この条件では撮影は無理なので中央のやぐらの下を通り抜け、船首に向かった。

比較的浅くなっている船首では30匹ほどのカスミアジの群れがいて、どうゆうわけかその中に1匹のナポレオンがいた。船首の先では青と黄色のたくさんのウメイロモドキの群れが大きく揺れていた。そして更に船首の下に回りこみ、沈船に群れる数千匹のスズメダイを船首と重ねてシルエットで撮影した。その後再びアンカーを打ってあるブリッジまで戻った。
悪天候の為、気がせいているせいか我々はかなりの速さで船を一周してしまっていた。エアーは未だ半分近く残っていたので、私はそのまま一台のカメラを持たされてブリッジの下の水深20mのデッキの上に留まった。カメラマンは水深10mくらいの所まで浮上し、クラゲを食べているハタタテダイを撮影していた。やがて私はひっそりと静まり返った水中で一人エアーの吐き出す音を聞きながら、唯ぼんやりとしていた。
どんよりと低く垂れ込めた暗雲・全く陽の差さない水中の沈船・ストームのフライトキャンセルにより、ダイビングの泡の如くに消えてしまった15名のダイバー達!いつしか私は船のデッキの上で妄想に取り付かれ、苛立ち、焦燥に駆られていた。

そしてうなだれかかった私の心にそっと忍び寄る絶望の影が見えかかった瞬間!背後からそっと私の肩に触れてくるものを感じた。私は一瞬サメではないかと恐る恐るゆっくりと後ろを振り向いた。するとそこには3mくらいもある1頭のバンドウイルカがたたずんでいたのである。やさしい目をしながら包み込むように私を見つめるその表情は、とても柔らかくてそして暖かかった!私がゆっくりと右手を差し出すとイルカもゆっくりと首を傾げ、その後首を上下に振り出した。まるで笑っているかのようであった。
更に私がもう一度右手を差し出しながらそっと歩み寄るとイルカもゆっくりと近ずいてきて、私の指とイルカの口との間隔が徐々に狭まり・・・指がイルカの口に触れた瞬間、イルカはキュル!キュル!と鳴き出して、私の回りをぐるぐると旋回し始めた。私はうれしさのあまり唯呆然とその光景を見ていた。しばらく私の周りを泳ぎ回ってから、イルカはやがて濃いブルーの中に消えていった。すると数十秒の内に更に別の2頭を連れて現れた。そのあと同じ事が3・4回に渡って繰り返され、結局私は12頭のイルカ達と戯れることができた。その間、最初の1頭はずーっと私の近くにいた。私が手を差し伸べる度に体を大きく振って喜んだ!

私はこの1頭をトラック環礁内で出遭った最初のイルカとして「私はアルパであり、オメガである!始めであり終わりである!!」という聖書の一節にちなんで、名前をギリシャ語のアルパとした。
やがて12頭のイルカ達は真っ青な濃いブルーの海の彼方に消えていった!そしてイルカ達が立ち去った後、私は初めてイルカに癒されたことを知った。そして私は水深20mの沈船のデッキから満面に笑みをたたえて、無事浮上することができた。
私はこのイルカに・・・私に近ずこうとした勇気のようなものと私自身を大きく包み込んでくれた愛のようなものを感じた!そしてこの1頭のイルカを通して、私自身が大自然の中で生きているのではなく、生かされている存在なんだ!ということを骨身に染みて実感した。

これが私が6年前に最初に出遭ったイルカである!その後、数多くのイルカ達と出会ったがこのアルパを超えるイルカは未だいない!!
まさしく「私はアルパであり、オメガである!始めであり、終わりである!!」 ヨハネ黙示禄21章6節

「陽はまた沈み、日はまた昇る!アルパよ!!我ら再びいつの日にか!!!」

ジープ島、Jeep島、第13話 アルパ達 (2004年11月)

10月から今月にかけてイルカ達の動きがより活発になってきている!10月22日に女優の高樹沙耶さんたちが来たときはデュブロン島(夏島)近くのNIPPO‐MARU付近で遭遇し、7名でドルフィンスイムを行った。このときは先にアルパが近ずいてきて、他のイルカ達に信号を送り約7頭のイルカ達と遊ぶことができた。また別の日に富士川丸付近のエッテン島(竹島)寄りのところで富士川に入る前に何度も見かけた。昨年は約20名でドルフィンスイムを行い、それなりに成功したが今年はイルカの寄り方が一層近くなりフレンドリーさが増したように思う。

アルパは体がたいへん大きいオスのイルカで何処か堂々としていて威厳があり、10頭以上の群れをいつも率いている。いつも勇敢に私のすぐそばまで寄ってくる。ゆっくりと後についていくと常にこちらを振り向いて気にしてくれる。たいへん頼もしいイルカである。
また今回はアルパの奥さんらしきイルカと思う存分遊ぶことも出来た!体はアルパより一回り小さく細身で、目がパッチリしていてたいへん美しいイルカである。名前をビーとすることにした。何度も泳いでいるうちにビーが完全に私に懐き何度も何度も私の周りを回り出した。そして指で触れるくらいの距離まで近ずけるようになった。アルパは6年前に富士川丸の水深20mのデッキの上で最初に私に触れてきたイルカである。今まで数々の思い出を刻んだが、その中でも忘れることの出来ないものが一つある。

ある日、ジープ島から10分ほどボートで行った小さな名もなきリーフの先で私がシュノーケリングをしている時に私の背後から一匹のサメが近ずいたことがある。始めはそのことに気ずかず海面に浮かんでいたのだが、しばらくして下を見るとサメが輪を描いて私の下をグルグル回り始めているのに気ずいた。私はボートに戻ることをすぐに考えたが、海面から見るとかなり遠くにいて戻れそうになかった。私はゆっくりとキックしながらボートに戻ろうと体を横にして進み始めた。そしてそのサメが急に私のフィンに近ずこうとした瞬間、海底の何処からともなくアルパが現れて、尾びれで思いっきりサメを追い払ったのである。その後ゆっくりとアルパと一緒に戯れながらボートに戻ることができた。この経験は今までに2回ほどある。
高樹さんたちと思いっきりイルカ達と遊んでボートにあがっても、イルカ達はずーっとボートから離れなかった。このときのアルパの包み込むようなやさしい顔が今でも忘れることができない。

イルカ達との遭遇はそのまま翌週まで続き、10月27日に今度は教授(三輪アキラ氏)が率いる撮影隊がジープ入りした。今回はメインのフォノヌーク島キャンプの為、重いカメラ機材の他に大きな蚊よけのテントまで持ちこんでたいへん気合が入っていた。到着してから島でコーヒーをすすりながら、このアルパの話しを持ちかけた瞬間、教授の目は爛々と輝き出し、いきなり「今回はイルカに変更!」ということになった。

そしてイルカ探しが始まった!島はイルカ一色と化した。教授のイルカに対する思いと執念はこちらで見ていても並々ならぬものを感じさせた。そして数日が過ぎ、我々はとうとうNIPPO‐MARUから少しフェノム島よりの場所でアルパの大きな群れに遭遇することができた。群れは大きさが80cmくらいの2頭の子連れであった。
2頭の子連れでは中々近ずけないかもしれない!と思いながら水中に入ったが逃げる様子がない、そしてすぐにビーが現れて我々の周りをグルグル回り始めた。しばらくビーと遊んでいたらアルパがゆっくり近ずいてきて、他のイルカ達も同時に遊び始めた。完全に彼らは我々を受け入れた。何度も何度も素潜りを行うんだけれどもどうも息が長く続かなくて思うようにならない!イルカと戯れている私の様子をカメラに押さえようというのだからカメラマンの宮地氏もたいへんな労力である。いい写真を撮ろうとすれば私より遥か下まで素潜りでいって、息をとめて撮らなければならないわけである。私も年でしんどいだけれども、それを撮影するカメラマン宮地氏はもっとたいへんなわけで・・・

ドルフィンスイムは旨くいったんだけど撮影となると息が切れてたいへんになる!と言うことで・・・一度皆でボートに上がってタンクをつけて入ろうじゃないか?と言う事になった。これは過去に数度行ったことがあったが旨くいったことはなかった。タンクをつけて入った瞬間イルカが逃げてしまうか?或いは例え入ったときにイルカがいてもダイバーが吐く泡を嫌がり消えてしまう可能性があったからである。

しかし今回は全く違っていた!恐る恐るタンクをつけて潜り始めるとイルカは逃げるどころか面白そうに一緒に遊んでくれたのである。このとき7頭くらいのイルカ達と思う存分ドルフィンダイビングを楽しむことができた。このドルフィンダイビングは三輪撮影隊が滞在中2度ほど行うことが出来た。帰国後、教授からの報告によると完璧なドルフィンスイムとドルフィンダイビングの写真が上がったとのことであった。
この撮影隊の気迫と気概が多くのイルカを引き寄せ、撮影成功に至らしめたのだろうと思っている。私はこの毎日のドルフィンキックでおかげでよく眠れ、更に私の腰は血行がよくなり、以前より軽やかな感じがするような気がする。やがて無事に撮影を終え、11月8日教授たちは帰国した。

その後イルカとの遭遇は続き、ボートの先まで寄ってきては大ジャンプをしたり、ジープ島のリーフに何度もやって来た。トラック環礁のベタなぎは未だに続いている。高樹沙耶さんたちで子連れイルカの群れとのドルフィンスイムを行い、教授の撮影隊でドルフィンダイビングの写真をほぼパーフェクトな形で押さえ、そして、なんと!本日富士川丸とエッテン島との間でドルフィンスイムとドルフィンダイブのビデオ撮りに成功したのである。
撮影後、すぐに島に戻り早速ビデオを見させてもらった!そこには上下左右と泳ぎまわる美しいイルカたちの群れの中に黒のスーツに赤いフィンといういでたちの美しい?じゃない・・・腹の少し出たイルカのような中年の私がくっきりと写し出されていた。

自分でその映像をみながら感動してしまった!!たいへんな事になってますぞー!今ジープ島は・・・・最最新!ドルフィンレポートでした。最後に・・・これは私の直感なんだけど高樹さんも教授(三輪氏)もどちらもイルカを引き寄せ易い人ですね!そんな気がするな?

ジープ島、Jeep島、第14話 イルカの日 (2004年12月)

私はこの10月半ばから11月末までの約1ヶ月半、トラック環礁内のアルパが率いるイルカ達の群れ(約16頭)と急接近したわけだが、イルカつまり異種間とのコミュニケーションにおいて、いくつかの発見と驚きがあった。
私に慣れたイルカたちは一緒に潜ってみたり、周りを旋回したり、また私を引き寄せようとして様々な表情を見せてはしゃいだりしていたが、その中でアルパの動きは全く違っていた!私が何度も素潜りして息が切れ疲れているのを気ずかうようにじっと私のそばで待っていたり、こちらの息が整いゆっくりと動き出すとアルパもゆっくりと動き始めるのであった。アルパ自身が私の前を行くときもいつもこちらを振り向きながら心配そうな表情を見せている様に思えた。
1998年に富士川丸のデッキの水深20mで私に初めて触れて来た時も同じ表情をしていた。私の事を気ずかう様子は、今まで2度に渡り私に近ずくサメを尾びれで追い払ったことからも伺えるような気がする。

アルパは既に私の動きを読み、自分の群れと遊ぶことを許し、常に私の近くにいて心で感じてるような気がする。実際言葉ではないが心によるコミュニケ‐ションが目に見えない形でごく自然に行われているのである。この異種間との心におけるコミュニケーションは実に水みずしく、そこには神秘的な驚きがある。

バンドウイルカ(TURSIOPS TRUNCATUS)の研究を長年行い、「イルカと話す日」という本を書いたJOHN・C・LILLY博士はこのように言っている。
「概してイルカ達はスクーバダイビングの装置をつけたダイバーよりも、シュノーケルをつけたダイバーにすぐ馴れるものである。スクーバダイビングのものものしい器具と、それが立てる音を警戒してイルカは近よろうとしないのである・・・・」 このことは我々の中でも今まで定説になっていて、ダイビング中偶然イルカの群れに遭遇することがあっても、イルカの群れの中にダイビングタンクを背負って旨くいった話しは聞いたことがなかったのである。私自身もイルカがダイバーが吐き出す泡を嫌がるか、或いは水中にて出る奇妙な音を嫌がるかのどちらかであると認識していた。

ところがこのトラック環礁内で出会ったイルカ達は違っていた!今年の10月28日からのダイビングによる調査の中で既に8回に渡って、イルカの群れにタンクをつけて入り一緒に泳ぐことが出来た。またほとんどがシュノーケラーよりダイバーに寄って来たのである。そのうち3回は小さな子連れであったということを考えた場合が、イルカ達がなんらかの理由で我々ダイバーを受け入れくれたとしかいいようがないのである。
このことによって今までのイルカはダイバーには近ずかないという定説は否定されることになるような気がする。唯ひとつ言えるのはトラック環礁というのは実に不思議な環礁であるということを忘れてはならないようにも思う。

バンドウイルカの生息エリアは夜は春島と夏島の間にいることが多い。朝、夏島のNIPPO‐MARUの上を通り、富士川丸方向とジープ方向の2箇所に別れて移動している。ジープ方向にはHOKI‐MARUがある。この3つの沈船を点で結ぶとトライアングルとなる。この地点で出やすいという統計は既にアグレッサー・オデッセイなどのダイビングクルーズ船やブルーラグーンダイブショップのガイド達の話しからしても、多くの欧米人ダイバーがこの3つの沈船でイルカと最も遭遇しているという報告が来ている。

このことがトラック環礁内のイルカがダイバーを恐れないという理由のひとつになるような気もする。また各沈船にはダイバーが吐いた泡が船倉の上や回廊の天井に張り付いて常にダイバーはいなくても泡が水面まで上がり続けているということも、泡を嫌がっていたいたイルカが自然と泡に慣れてしまったのではないか?ともいえるような気がする。

このJOHN・C・LILLYの「イルカと話す日」と言う本を題材に20年以上前にジョージ・C・スコット主演で「イルカの日」(THE DAY OF THE DOLPHIN)という映画が作られている。
人間の言葉を覚えたイルカ2頭と学者夫婦が軍に利用され、大統領暗殺に使われるというお話である。ところが暗殺が失敗した為に人間の言葉を話せるイルカがいたらまずいということで今度はイルカを殺そうとするんだが・・・必死に子供のようになれたオスとメスのイルカを学者夫婦が逃がそうとするわけである。島から逃げるように何度も言うんだけれども学者たちから離れたくないイルカが海面から顔を出し「パー!(パパ)」「マー!〈ママ)」と何度も呼び続けるシーンがたいへん印象的であった。
12月田舎に帰ったらもう一度見てみたいと思っている!皆さんも是非ご覧あれ!!

ジープ島、Jeep島、第15話 桜散る!しかしトラック環礁はイルカ満開!! (2005年4月)

突然妙なタイトルで始まってしまいましたが・・・本日ボートのエンジンの調子が悪く、「今日はついてないなー!」なんて思いつつジープに行って一組のカップルを乗せてドルフィンスイムに出かけたんだけど・・・なんせ今滞在しているカップルは小笠原・御蔵島その上バハマのドルフィンスイムをくぐり抜けてきた超つわもの!
何とか決めねば・ひろ吉!と思いつつ、ボートに乗り込んだのはいいんだけれども・・・どうも行き先が決まらず・・・右か左か?エッテン島か富士川丸か?と迷った挙句に、「よーし!初心に帰ってNIPPO-MARUにトライだ!!」と凪のトラック環礁をまっしぐらに飛ばして15分、NIPPOのブイが見えたと思ったら、な・なんと既に2頭のイルカがボートの下に来ていて、まるで我々を待っていたかのようにいきなりドルフィンスイム!

カップル曰く「さすがに違いますね!トラックのイルカは・・・既にボートを知ってるんですね!!」といわれたもんだから、頭を掻きつつ「まー!こんなのはたいしたことないですよ!」なーんてことを言いつつ・・・
まードルフィンツアー初回でジープから15分にして既にクリアーといった感じですから・・・こうゆうのを100発100中というんだね!

ドルフィンスイムは若い2頭のイルカと行い、一度ボートに上がってもう一度トライ!今度は5頭現れ、ドルフィンキックで水中に入るとぴったり我々に寄り添って浮上するという理想的な泳ぎ方を見せてくれていました。実に気持ちのいいドルフィンスイムで満足した所に何処からともなく、アルパが現れギリギリまで寄ってきて「満足したかい?」なんてことを言っているようないないような・・・そんな仕草で私の目をじっと見て、群れに話しかけて真っ青な海に消えてきました。
実はこのくらいのことは日常茶飯事でどーってことないんだけど、この後が凄かったですねぇー!

我々のボートはそのままエッテン島を脇に富士川丸の上を通過してジープに戻ったんだけど・・・昼の12時を回ったので「飯にしましょう!」とテーブルにつき、リペルの作ってくれたフライドチキンを頬張りながら「チラッ!」と海のほうを見たら、な・なんと背びれが3つほど見えているじゃありませんか?思わずチキンを持ったまま、ビーチに行ってみんなでイルカを見てしまいました。
NIPPO-MARUからジープまでフルスピードで15分の距離なんだけど、帰りは風が出始め向い風になったので、おそらく20分くらいかかって戻ったと思うんだけど・・・おそらくイルカたちは我々のボートを追っかけてきたんじゃないか?と思われます。

実は最近毎日のようにジープのハウスにイルカたちが現れるんだよね!先日なんか別のお客を連れてサラットパスまで出かけてシュノーケリングをして帰ってきたら、いきなりリペルが私のところに寄って来て「吉田!1時間くらい前にアルパ達が来て3回ジャンプしていったよ!今吉田はいないよ!サラットパスに行っているよ!!」と言っておいたから・・・と言うんですね!まーなんとかわらしいことを言ってくれるんでしょう?ほとんどハウスリーフ正面のソフィアの根のすぐ近くに出ています。

ジープ島、Jeep島
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