野生のイルカと泳ぐ ドルフィンスイム等、世界の絶景ジープ島(JEEP島)の話題が満載。

ジープ島、Jeep島

ジープ島、Jeep島、第21話~第25話
HOMEの中の冒険ひろ吉の部屋の中のVol.5 第21話~第25話

ジープ島、Jeep島、冒険ひろ吉の南方楽園記:『裸足のままで』

ジープ島、Jeep島、第21話 イルカが信じられないくらいに懐いてしまった! (2006年1月)

先日からイルカのアルパ情報をお送りし続けているわけですが・・・なんと・・・
とうとうイルカの動きが信じられないような事になってきました。どんな状況かというと、先週の金曜日に日本からリピーターの澤田氏がやって来て、ホテルに着いたらグアムの空港であまり眠れなかったらしく、「お久しぶりです!いやー!3時間くらいしか眠れなかったんですよ!」と言われたもんだから・・・午後から寝させてあげたほうがいいかな?と一瞬思ったんだけど、外の椰子の天辺を見ると椰子の葉が見事にウンともスンともいっていない快晴のベタベタ凪!
一言彼に「今日はメチャクチャイルカ日和なんだけど?」と言った瞬間、「行きます!すぐに行きましょう!!」ということになり、もう一人のホテルステイのJUNKOちゃんという女性とスモールボートに乗り込んで出かけたわけです。

富士川丸からエッテンの辺りを探し、ニッポウ丸方向に向い始めたんですが・・・どうも後の方にイルカ達がいるような気がして、すぐに冬島方向に向うようにオペレーターのコケに言った瞬間、コケがものの見事に「五星丸の近くにいるぞ!」というので行って見たら、そこにはわんさかイルカの背びれが見え隠れしていて、ほとんど止まっているような状態でした。

この日は快晴のべた凪で外国人もほとんどいず、他のボートはべた凪なので外洋に出かけていて、なんと環礁内を見渡す限りボートは我々以外見当たらず、鏡の水の上に環礁内がしーんと静まり返り、実に美しい海でした。
3人でマスクをつけて中に入るとすぐに11頭のイルカ達がやって来て上に下にと球を描きながら我々の周りを回りはじめました。そして数センチの距離まですべてのイルカ達が寄って来てくれました!

ここまでは前回とほぼ同じ動作なんですね!ところが今回は更にアルパが先に1cmくらいのほぼ触れるくらいまでの距離に寄って来たので、私が右手をかざしました。それから私がかざした手の人差し指を右に向けるとアルパも右に動き、指を左に向けると左に動いたんですね!なんだか私はうれしくなって、それを何回か繰り返し、今度は指を大きく回してみたんですね。するとな・なんと!驚いたことにアルパもゆっくり回ったんです!これには驚きました。それから別のイルカのところに行って同じ動作をするとやはり同じように動くんです。

それからボートに上がって、「いやー!良かったね!!イルカと遊べて・・・」と言いかけたら、いきなりJUNKOちゃんが「信じられない光景でした!もしかして吉田さん!前世はイルカだったんじゃないですか?」と言われてしまいました。

ちなみに私が今までジープ島に来た方に言われた前世は・・・まずはムー大陸の王様!(いいですねェー!!昔を懐かしんで島にいるらしい!)次はあの紅海を渡ったモーゼ!(だから最初にジープに入った頃杖を常に持っていたんだな?うーん!益々いいねェー!!)・そしてイルカ!(まーいいんじゃない?)・ところが最後に言われたのがひどかった!
犬だって・犬??・・・理由を聞いたら、たまたま私が島に泊まった日の夜中にトイレに起きたらビーチで私が寝ていて、犬のビキニを抱っこして寝ていたそうなんです。それでそうゆうことになってしまったわけ・・・おそらく犬を布団と間違えていたんだと思うな?その人には思わず「ワン!」と言っておきました。ではまた・・・平和でしょ?ジープは・・・冒険ひろ吉の楽園便り

ジープ島、Jeep島、第22話 麗しきトラック環礁 (2006年3月)

この時期のトラック環礁はたいへん美しい!東からの貿易風の影響で東のパスから外洋のきれいな水が入り込み、環礁内の透明度が一気に上がる。富士川丸もジープのハウスもサンドキャッスルもサンドパラダイスも外洋の水によって一段と美しさを増す。そしてサンドパラダイスを潜り終えた後に、環礁の長い砂州に上陸して浅瀬で体を半分海につけ砂まみれになりながらのんびりダラダラ・ゴロゴロと過ごす時に実に至福の喜びを感ずる。
私は今年に入りサンドキャッスルに一つのたいへん美しい根を発見した!様々なカラフルな小魚たちがそこで生息していて、その根の砂地に座りこんでじっくり観察するのは実に楽しい!そこには49歳にして今だに新たな発見と驚きを求めてやまない自分を発見することができる。そしてその根のすぐ近くにはミナミハコフグの幼魚が住んでいて、いつでも見ることができる。やはり幼魚というのはたいへんかわいらしい!

私は今密かにジープ島の大きな枝サンゴのある辺りを毎日のように探索している。
遂この間まではジープのハウスリーフで何匹のロブスターを見つけられるかということに夢中になっていたんだが・・・今は違う!この大きな枝サンゴの砂地に数種類のウミウシの幼魚がいることがわかったので、今はウミウシ探しに夢中になっている。このウミウシ幼魚探しには少しテクニックがいるわけで、大きなフィンキックをすると見事な枝サンゴを折ってしまうし、旨く中性浮力を海面すれすれで取らないといけないので、バランス感覚が悪いと尻がサンゴに刺さってしまうわけで・・・やはりこれはプロの技ということになる。私の場合、時にはフィンを脱いで、逆さまになった状態で探すこともしばしばある。

まー!人がこの光景を見たら、映画「犬神家の一族」の池の変死体のような感じなので驚くかもしれないが・・・その時はひろ吉の奴!ウミウシの幼魚探しに夢中になっているんだと理解していただきたい!
そういう意味では私は未だに科学者の目と少年の心を持つ中年のおっさんということになる。ちょうどファーブルが南フランスのプロバンス辺りで糞コロガシに夢中になっていたのと同じようなものである。

今年に入り、ジープには実に一人でやってくる人が多いように思う。その人たちが朝日や虹や夕陽や月や星などを見ながら、寝食を共にしている内にいつしかジープ島の中にたいへんいい空気が流れ出し、帰る頃には友達になっていることが多いように思う。東京辺りでは頻繁にジープの会などというのが催され、宴会が開かれていると風の便りで聞くことがある。それも私抜きで?

まー!明日飲むからいますぐ来い!といわれても困るわけだけど・・・なんだかうれしいような寂しいような感覚を時たま覚えることがある。この寝食を共にしながら、同じ自然を共有して同じ雰囲気に包まれるというのは何処か冬の日のおでん屋に通じるものがあるように思える。

冬の2月くらいに駅から自宅に向かう途中におでん屋の屋台の前を通りかかる。
家に帰っても誰もいないので軽く一杯ひっかけて今夜の食事はおでんで済ますか?などと思いながら、暖簾をあけて席に着く!コップ酒を頼んでおでんを注文する。しばらくして、おやじが「冷えてきましたね?」てなことを言って青い幌をかけ出す。そして雪が降り出す!すると一人また一人と客が幌を潜り抜けながら入ってくる。お互い他人なんだけど同じおでんの鍋を見ながら酒を飲みだす。いつしか皆であーでもない!こーでもない!といって酒精にまみれて話し出す。そんな時小さな青い幌に覆われた空間に同じ空気が流れ出す。そして酒とおでんが体を温めて、漂う同じ空気が心を暖める!そんな感じがするなー?ジープも・・・まー!変な例えだけどね?

教授の書いた一節にこんなのがある。「この小さな島に一歩足を踏み入れた時から、誰でも漂流者になれる。」漂流とは先を定めることができない定めのようなものなんだな!決められたレールの上を走っているだけでは満足しないんだな?人間は・・・時には漂流しないとね?浮き草のように・・・
ちなみに私の場合既に9年になりますからね!漂流歴が・・・これはちょっとやり過ぎかもね?

ジープ島、Jeep島、第23話 アルパの群れがすべて完全に受け入れた日 (2006年5月)

今トラック環礁は晴天の凪の日が続いています。こんな日はジープのハウスのサンゴの群落と白砂との青のグラデーションがたいへん美しく、サンドパラダイスに至っては・・・海底一面に敷かれた白砂と太陽と水が織り成す美しさには、誰もが「わー!おーっ!」という歓声を上げるほどの見事な青一色に染まっています。

ましてやキミシマ環礁(クオープ・アトゥール)のジュエリードロップにおいては、ボートを止めて上から見えるあの白砂が覆った壁と50mを越すと言われる透明度の青とも透明ともつかない、今まで他で見たことがない水の揺らめきというのは、もう誰もが声も出ず「何これ!こんなのあり??」思わず絶句と言った感じですね!
やはり晴天のベタ凪というのは実に言い訳で、人の想像力をかき立て衰微した心をたいへん豊かにしてくれるといった感じがします。

よく来られるゲスト達に「吉田さんは毎日のようにこんな景色が見られて恵まれていますね?癒しなんて必要なないんでしょうね??」と聞かれる方が多いんですが、ところがどっこい!やはり私にも癒しが必要な時があるんですね!!
この場所は四季がないですから、季節の変化がわからないまま毎日海に出て塩水に使っていると、どうゆうわけかひとつの体の渇きというものを常に感じずにはいられなくなるんですね!これは喉の渇きと違って・・・何日も何日も砂漠の中をさまよい歩いているような錯覚に陥るわけです。

そんなときに夜な夜なこのカキコをみながら、皆さんの撮った写真を見たり文章を読んだりしながら・・・「あー!こんなにもジープやイルカで喜んでくれる人がいるんだ!もう今年で50歳になるけど年は忘れて頑張ろう!!」という気になるんですね!最近気に入ったのはナオさんが書いた地球とイルカのイラストでした。
そういう意味ではこのカキコは私の衰微した心を癒し、灼熱の太陽からの体の渇きを取り除いてくれる最高のオアシスと言えるでしょう!

前置きがたいへん長くなりましたが・・・実は先週からアルパの群れの動きが今まで以上に活発になってきています。4月の初めにアルパが何度も私の目の前で止まり、尾びれを上下させて触るようにと・・・!と書いたと思うんですが、今度は他のイルカ達がアルパ以外に3頭やり始めたんですね!みんな私の前でぴたっ!と止まり顔はやや斜めにこちらを見ながら、尾びれを目の前において上下させるわけです。こちらが手を伸ばすと1cmくらいのところで尾びれをヒョイ!と上げてかわすんですね!この触れそうで触れないという状況はイルカ達にはたいへん面白いらしく、何度も何度も行うわけです。そして最後には触らせてくれるんですね!

このように最初にアルパがとった行動がそのまま他のイルカ達に連鎖していくということが今まで何度も形を変え行われてきました。98年に最初にアルパが沈船の富士川丸の水深20mのデッキの上で触れてきたときも、全長135mの沈船のデッキにはアルパ以外はいなくて、私と最初に遊んだかと思ったら青い海の中にスーッ!と消え、いなくなったと思ったら一頭・二頭とどんどん連れて来て、最後にはアルパを含めて12頭のイルカ達と遊ぶことができたわけです。

その数年後には今度はアルパが奥さんらしきメスのイルカのビーを頻繁に連れてくるようになりました。このときはアルパが私に自分の恋人か奥さんを紹介しているんだな!と思いました。それからビーはアルパと同じくらい遊ぶようになりました。今年に入り、ビーの姿をあまり見かけないなと思っていたら3月末に赤ちゃんのべティを連れて現れました。そしてビーとべティが思う存分我々と遊ぶようになると、4月には母親のビーがべティだけで遊ぶことを許し我々と一緒に遊ぶようになりました。
今月に入りべティは大いに茶目っ気ぶりを発揮して我々が見ている前でジャンプをするようになりました。たいへんぎこちないんですが、思いっきりジャンプして水面に上がろうとするんですが、大人のように旨くはいかず水面から上がる前にポチャン!落ちてしまうんですね!実にかわいらしい表情をしています。

それから遂5日ほど前には約20頭くらいのアルパの群れが出て、約1時間ほど思いっきり遊んでボートに戻ったんですが、べティがどうしてももっと遊びたいらしくボートの目の前まで来て、水面すれすれで顔を出していました。べティがボートに向かって突進してくるものですから、ビーやアルパや他のイルカ達もそれについて来ざるを得ないといった感じでした。
まー!人間で言えば「坊や!そろそろ帰るよ!モエン島に・・・」と母親が言うのを「嫌だ!嫌だ!僕はもっと遊ぶんだ!!」と駄々を捏ねてると言った感じで・・・ちょうど子供の頃の自分を見ているようで、たいへん微笑ましい光景でした。

そして3日前、別の赤ちゃんイルカが登場して遊ぶようになりました。これもべティとほぼ同じくらいの大きさで約60−70cmくらいの赤ちゃんイルカです。
そして昨日とうとうアルパの群れのほぼすべてのイルカが遊ぶようになりました。アルパを中心にいろいろなイルカが東西南北方向からこちらをめがけてやってくるものですから、こっちを向いては「はーい!よしよし・・・」あっちを向いては「はーい!べティちゃんだね?よしよし・・・」と大忙しで・・・まるで動物王国のムツゴロウさん状態で・・・このまま進行していくとムツゴロウさんのようにイルカを嘗め回すんじゃないかと心配しています。

ジープ島、Jeep島、第24話 犬と無人島 (2007年1月)

新年あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします!!
昨年12月20日に日本でのアルコール漬けの体を引きずりながら、やっとトラックに辿り着いたんだけれども・・・今回の一つの帰国目的をとうとう達成することが出来なかったのを成田を発ってサイパン上空辺りで「あっ!しまった!!」と急に思いついたわけです。それは何かというと「ちゃんこ鍋を食べること」だったんですね。まー旨いちゃんこがなければ寄せ鍋でも牡蠣鍋でもなんでもいい!とにかく冬の日本は「鍋だー!!」と勢い込んでトラックを出て行ったのに、完璧に忘れてしまい、グアムの空港でくやしさを堪えつつうどんをすすったのを覚えています。つまり忘れるくらい忙しかったということですね。

まー!これを読んでいる人からすれば「大袈裟だな?たかが鍋だろう??」とお思いになるかもしれませんが、これが私からすると1年で食べれるチャンスが12月の帰国の時だけなんですね。これを食べないと1年が無事に終わったという気がしないわけです。これを例えると・・・勢いよく走っていって電話ボックスに入って青いユニフォームに着替えて飛び出したは良かったんだが、マントを電話ボックスに忘れてきてしまったスーパーマンのような感じというんでしょうか?つまり飛び立てないわけですね。ちなみに今のスーパーマンは電話ボックスを使いませんけどね。携帯の時代ですから・・・

まー!こんな話はさておき子犬の話をしましょう!!
12月22日にゲスト達を連れてジープに行ったんですが、上陸しようと思ったら一匹の白い子犬が走ってきて生きなり私に向かった吠え出したんですね。すると新之助が寄ってきて「シッ!シッ!!」としかるんですが、一向に止む様子もなかったので、そのまま小屋に行こうとしたら、何処からともなく生きなりジープが現れて私にまとわりついて吼えている子犬を片方の足で押さえつけ「ワン!ワン!」といって叱ったんですね。すると一瞬にして吼えるのがピタッ!と止んでしまったわけです。この様子を見ていてたいへん感動してしまいました。
「この人に吼えちゃいけないよ。」とかなんとか言って犬語で伝えたんですね?それ以降その子犬は私に懐き、ぺろぺろ足を舐めるようになりました。そのときのジープの行動は実に毅然としていて、なんだか飼い主の私としてはたいへん誇らしく思えました。

しばらくしてから新之助に名前はどうする?と尋ねたら「ビキニがいいと思うけどどう思う?」と聞かれたので・・・ちなみに名前をまたビキニにすることには何か理由はあるのか?と尋ねたら・・・新之助曰く「ビキニの遺体は俺が穴を掘って御神木の近くに埋めたんだけど、そのときジープ島にビキニがいたことはたいへん大きな存在だったと感じたんだ・・・そしてトラックでは敬意を表する人の名前は次世代に付けるのはたいへんいいことなんだ!・・・だからアッピンのハワイで生まれた孫の名前もアッピンの父親の名前をとって日本名の「キミオ」にしたんだ!」という返事が返ってきたわけです。
また子犬が夏島に連れてこられたのは17・18日辺りでアッピンの孫がハワイから連れて来られたのは19日だったんですね。

私としては11月のCJツアーのメンバー達との話もあったりしたので、一応年末年始に来られるゲスト達の意見も聞いてみて最終決定しようということを話し、新之助たちも納得してくれました。それまで子犬の名前としてココナッツ・ココ・奈々・シロ・ウシ・・・香水のパッケージに似て白がメインで黒い縁取りということで、チャネルなんて名もあり、一つ一つ呼んで見ましたが、どうもどれもこれもピンと来ないので、最終的にはみんなでビキニがいいということになりました。

それと前のビキニは私がネズミのちょっと大きくしたくらいの大きさの赤ん坊の頃から小屋の中で私と一緒に生活していたわけです。寝るときはいつも私のお腹の所に体を寄せて寝ていました。私が布団をかけると顔だけを布団から出して寝ていました。私のことはその頃は本当の親だと思っていたようです。そのまま成長してもやはり寝るときは布団を私から取って包まっていましたし、食事の時はいつも椅子にきちんと座っていました。
この頃は毎日ゲストがいませんでしたから私が毎日犬の面倒を見ていましたが、これからは私が島に滞在できない分、新之助やリペルにかわいがられることがたいへん大事なことだと思っています。

この子犬は全身がほとんどシロなんですが鼻と耳と目の周りが黒で短い尻尾の先がちょっとだけ黒くなっていてたいへんかわいらしい犬です。夏島のビキニの生まれたすぐ近くの家から来ましたから、おそらく血筋は同じものを引いていると考えられます。また顔や特に目はビキニそっくりで、既にみんなにかわいがられています。私は毎日抱っこしてかわいがっています。毎日ジープとじゃれあって2匹で遊んでいます。
この子犬を見たい方は早くジープに来るようにしてください!犬の成長は早いですからね!!

ジープ島、Jeep島、第25話 酒精にまみれて・・・ (2007年5月)

ジープ島には今まで多くの旅人が訪れて、いろいろな物が持ち込まれたわけなんだが・・・人それぞれで持ち込むものが随分と違ってくる。また中には無人島そのものと衝撃的に出会いたいと考え、ほとんど物を持ち込まない人もいたりする。
まー!これは釣りの世界で言えば、毛鉤を水面でしゃくりながら釣るフライフィッシングか、或いは重いルアーを魚が潜んでいそうな所に瞬時に投げ込んで釣るルアーフィッシングとの違いのようなものと言える。ジープ島そのものの楽しみ方に変わりはないわけである。

やはりジープ島での一番の醍醐味は夜、満点の星空や月の下のビーチで寝ることにあるように思う。私も今まで・夏の田んぼの中・公園・極寒の寒さの北海道の名寄の駅・ガソリンスタンド・クルーザーのデッキ・日本の海辺・山の川辺などなど様々な所で寝てみたわけだが・・・この冬の北海道以外はすべて蚊に悩まされてよく寝れなかった覚えがある。
しかしこのジープ島には蚊が全くいないので、それに悩まされることもなく波の音を聞きながら、人のいびきも自分のいびきも聞くことなく鼻ちょうちんを膨らませてニヤリと笑みを浮かべながら寝ることができるのである。やはりこれでしょうね?醍醐味は・・・

唯自然相手の全くのアウトドア生活になるという点においては、万全の備えを考えいろいろなものを持ち込んだ方が快適であり、楽しめるような気がする。
今まで持ち込んだ食料では、おでん・枝豆・明太子・鮭・ふりかけ・サバ寿司・セブンイレブンのおにぎりなどなど様々である。
これが雑貨類になると懐中電灯・傘・スペアガン・ハエたたき・ゴキブリホイホイ・風呂桶・タモ・犬のノミ取りなどなど・・・ちょっと勘違いしているような感じもしますが?
更にこれがゲーム類になると将棋・バレーボール・ラグビーボール・フリスビー・タコ・チェス・トランプ・花札・ゲートボール・リモコンのヘリコプターなどなど、これまた様々である。

まー!これらの中でも最も際立っていて役にたったものがある。それは炊飯ジャーである。これを自分用に持ち込んだ人がいる。本人曰く「私は家に炊飯ジャーを8つ持っているんです。毎回旅に出るときはその中の一つを持っていくように心掛けているんです。やっぱ!米はこれで炊いてあげないとね?」というようなことをおっしゃられていたように思う。私も新潟のコシヒカリの産地の出身なので「全く同感です!やはり米はこれで炊いてあげないとね??」とお答えした。たいへんその人はいい人でジープに炊飯ジャーがないということで、それを持ち帰らずプレゼントしてくれた。その方曰く「やっぱ!炊飯ジャーによって米の炊け方が随分と違うんですよね?」を言っておられた。中々奥が深いのである。

このいろいろな物を島に持ち込むという点において、更に際立った男がいる!それが誰かというと・・・教授(夢雲氏)である。ジープ島を開島して既に10年目になるが、未だ彼を超える人物を見たことがない!その持ち込む物の徹底ぶりには目を見張らせられるものがある。すべての物が実に絶妙なタイミングで出てくるからである。ある意味入念に考えられた一つの技とも言える。

私が思うに、彼の旅は既に東京の白山のマンションの一室から始まっているのである。仕事が終わり、夜な夜な酒瓶を目の前においては「次は何を持っていこう?」と一口「ガブリ!」と飲んでは考えるわけである。そして深夜酒精にまみれながら・・・きっとこう思っているはずである。
「俺は今から東京を離れる!南海の孤島に旅に出るんだ!!この旅は現実からの逃避とも言えるが・・・単なる逃避じゃないぞ!いわば偉大なる逃避なんだ!!」「ジープが帰って来いよー!と呼んでいるんだ。」と・・・

この4月に持ち込んだ彼のリストの一部を今後の旅人達の為に紹介しておく事にする。まずはお気に入りの懐中電灯とランプ3種・皆で聞けるようにCDプレーヤー・数種のカメラ・枕・座ぶとん・ブルーマウンテンとグァテマラのコーヒー・コーヒーカップ・灰皿・洗濯ばさみ・えもんかけ・予備の電池20本ほど・エリッククラプトンなどのCD約10枚・ウイスキー用のショットグラス3つ・あとはSKYYのウオッカ・CITADELLEのジン・CLYNELISHの14年もの・CAOL ILAの12年と18年もの 計8本のボトルなどなど・・・

一体そんなに多くのものを持ち込んでたいへん何じゃないか?と思えるんだが、教授の場合、本当に無駄なものがなく実に旨く使いこなすのである。うれしそうにそれらの物をテーブルの上に出しては微笑み、またしまっては出す!その光景を横でじっと見ていてこちらまで微笑ましく思えてくるから不思議でしょうがない。彼は本当に旅そのものを楽しんでいるんだ!そして人生を楽しんでいるんだ!!という思いにさせられた。

彼にはひとつの明確な人生哲学があり、飲んだ時に必ず出てくる言葉がある。それはこうである。「俺はいかに旨い酒を飲むか?ということを心がけ、そのために仕事をしているんだ!いわば酒は自分に対するご褒美なんだ!!」
つまりいい仕事をしないといい酒にはならない!という一つの戒めのような言葉とも言える。これはある意味人生の辛酸を舐め尽した男から出てくる言葉なのかもしれない。

その夜、我々は8本のボトルの飲み比べを行い、更に酒精にまみれて二人でスコットランドのアイレー島まで飛び、シングルモルトウィスキーの王様は一体どれなんだ?と話題で盛り上がり、とうとう3本のボトルの名前が出て明け方4時30分頃に終結した。

    無人島のこの一杯・・・
海と酒は男を磨く!!
KAOL ILA 18年
我が酒精 教授に捧ぐ!・・・無人島開拓者より

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