野生のイルカと泳ぐ ドルフィンスイム等、世界の絶景ジープ島(JEEP島)の話題が満載。

ジープ島、Jeep島

ジープ島、Jeep島、第6話~第10話
HOMEの中の冒険ひろ吉の部屋の中のVol.2 第6話~第10話

ジープ島、Jeep島、冒険ひろ吉の南方楽園記:『裸足のままで』

ジープ島、Jeep島、第6話 Moon light diving(月に濡れた夜) (2002年7月)

以前カリブ海のある小さな島に行き、夜、ホテルのバルコニーで心地よい風にあたりながらラム酒を飲んでいたら、遠くの月明かりの下に船が停泊していて、そのデッキからダイバーが海に飛び込んでいる光景を目にした。月明かりに照らされてシルエッになったダイバーの姿が実にのんびりとしていて、また同時に神秘的でもあった。ダイバーの影が一人また一人と闇の海に消えていった。そのとき私はダイバーと月は良く似合うと思った。
ふとこんな事を島で月を見ながら考えていたら、突然矢も立てもたまらずやりたくなってしまった。

早速、ホテルに戻りその準備にとりかかった。
快晴のベタなぎの日の黄昏時にブルーラグーンリゾートの桟橋に向かい、ダイビング機材を担ぎ、水中ライトを持って船に乗り込む!満月の2日前なので既に月は夕方の5時頃には、東の水平線から昇り6時過ぎには輝き出し始めている。6時15分デュブロン島(夏島)の脇にある沈船を目指す。6時30分頃スミレ色に染まりゆく海を見ながら、準備にとりかかる。アンカーを沈船の船首に打ち、タンクを担いでスミレ色の海の中をゆっくりと潜行してゆく。

ライトを照らして甲板を見ると、魚たちの動きが鈍くなっている。甲板のあちこちで赤と白のエビが活動している。静寂の中で唯エアーをはきだす「ゴボゴボ」という音だけが聞こえている。ゆっくりとデッキを移動しながら船尾に向かう。たくさんのソフトコーラルが昼の色から夜の色へと変わり、ゆらゆらと揺れながら輝きを一段と増している。そして更に潜行してゆくと大きなスクリューが見えてくる。そこから更に船の壁へと移動し、壁を下から上へと突き上げるようにライトをあてるとびっしりとハードコーラルが付き、美しい花々が一斉に咲き出している。赤・オレンジ・黄色・緑・黄緑・ピンク・・・例え様のない色彩を放っている。

見事だ!実に見応えがある。これだけの色を同時に見ることは陸上では、まずない様に思える。美しく神秘的なダイビングである。船を一周して船首に戻り、海面を見上げると青白く濡れた月がゆらゆら揺れながら輝いているのが見える。ライトを消し月明かりの水中をゆっくりと浮上する。そして船に上がりタンクを下ろして、タオルで体を拭きおもむろにタバコに火をつける。こんな時なんだ!例え様のない生きている喜びを感じるのは・・・

ベタなぎのうんともすんともいわない夜の海で、唯ぼんやりとタオルにくるまって月を眺める。遠くにかすかなホテルの明かりが見えている。ギャランに「サースー!」(LETS GO!)と声をかける。船がホテルを目指してのんびりと帰ってゆく・・・・
どこかナイトダイビングには陸にはない神秘性と独特の満足感がある。何かをやり終えた達成感というか?または帰り着いた安堵感というか?・・やがてダイバーは疲れ、深い眠りにつく!

なぁーんちゃってね!ひろ吉の一夜の隠密行動でした!!では次回をお楽しみにー・・・だ!

ジープ島、Jeep島、第7話 「3人の賢者」と「老人とふんどし」 (2002年9月)

南方の暮らしぶりをたいへん旨く表現した小話ものの中にこんなのがある。
ある南の島に都会から仕事でやって来た若者が毎日忙しく働いていた。そして椰子の木陰で3人の老人がじっと毎日その様子を伺っていた。ところがある日、若者があまりにも忙しく右にいったり左に行ったり動き回るものだから・・・老人の一人がこう尋ねた。「毎日忙しく働いているけど何故そんなに急ぐのかね?」と・・・すると若者は老人に向かって「はい!私は今一生懸命働いて、将来南の島でのんびり暮したいんです。」と答えた。それを聞いた老人達が3人で話し合い、また別の一人がこう尋ねた。
「するとあんたは今わしらがしていることを将来やりたいというんだね?」と・・・そしてまた別の老人が首をかしげながらこう呟いた。「それなら今すぐにでもやれるんだがなー!」と・・・

ある日政府から派遣された若者が島の州知事に会うためにやって来た。若者は初めての土地で道に迷い、道なき道を歩きまたジャングルをかき分け灼熱の太陽の下を汗だくになって、政府の建物を探し回っていた。やがてジャングルを抜け出して小さな道を登ったらようやくそれらしき大きな建物にぶつかった。そしてその建物の入り口に「GOVERMENT OFFICE」と書かれてあったので「よし!ここだ!!」と思い、知事の部屋を探そうとするんだけど一向に見当たらない。すると門のところにホウキを持って掃除をしているふんどし姿のおじいさんがいたので「あのー!州知事に会いに来たんですけど・・・?」と尋ねてみた。

すると老人はヨタヨタ歩きながらやって来て「州知事ね!じゃーわしについてきなさい!」と聞き取りにくい英語で答えた。若者は老人に言われるまま着いていき、一つの部屋の中に案内された。若者がどの人に聞こうかと部屋の奥を覗き込んでいたら、いきなりその青いふんどし姿のおじいさんが上に背広だけをはおり、若者の肩を後ろから「ポンポン」とたたき、「ところで御用はなんですかな?私が知事ですが・・・」と聞き返したそうである。

この第一話はたいへん奥が深く、人は何のために生きるのかという事を考えさせるようなものといえる。またこの第二話は人を外見で判断してはいけないというたいへん教訓めいたものといえる。また頑固なまでに昔ながらの伝統文化を守ろうとするこの老人の気持ちと同時に西洋文化への憧れというものが上半身が背広で下半身がふんどしというちぐはぐな形で現れてしまったものともいえる。

ジープ島、Jeep島、第8話 「自然に無駄なものはない!」 (2003年1月)

先日モエン島をブラブラ歩いていたら、空き缶のゴミ山になっていた所の缶がすべてなくなっていることに気ずいた。缶拾いをやって掃除をしたんだなー!と感心していたらどうやらそうではなかった。一人の現地人がたくさんの缶を拾い集めて自分の家を作ってしまったらしい。一度見学にいってみようと思っている。空き缶も無駄ではないんだ!と改めて感心させられてしまった。やはり物事何が無駄で何が無駄じゃないかは中々わからないものである。
では人間にとって無駄ではないというものが一体何なのか?と考え出すと益々よくわからなくなってしまう!しかし人間にとって一瞬無駄なように見えるけれども、実はたいへん貴重なものというのがあるんじゃないか?自然の中で唯ぼんやり自分を見つめる時間は決して無駄ではないような気がする。

島から船で出て外洋の境の環礁の島々に上陸すると大きな風倒木が倒れっぱなしになっている事がある。おそらく100年近く生きて風で倒れ、朽ち果てようとしている椰子の大木である。島のビーチを歩いていると海に張り出して倒れているものだから、歩くのに邪魔で一瞬ゴミのように思われるのであるが、実はそうではない!よくよくこの風倒木の下をマスクをつけて覗き込んで見ると様々な生物たちが生きずいていることがわかる。
木が倒れっぱなしになっているとそこに苔がはえる。微生物が繁殖する。そしてその微生物を食べにメダカほどの小魚たちがやってくる。その魚たちを食べる為にアジサシなどの鳥たちがやってくる。そしてそのことが海に養分を与える。そのことが海を豊かにする。やがて島に鳥たちが住むようになり、ジャングルも豊かになる。すべて繋がり合っている。これは自然に無駄なものがないという証拠なんです。

風倒木は倒れ朽ちても他を養っている。人間や自然やらを養っている。人間も自然に養われているという事を知ったとき、はじめて本当の人間らしさを取り戻すのではないかと思ったりしたくなる。

「人は本当の自分に会う為に、自然の中に入り込んでいくのである!」 

ジープ島、Jeep島、第9話 「南方への憧れ」 (2003年3月)

いつ頃から私が南へ憧れ出したのか?全く定かではないんだけれども、南方を知るきっかけとなったものは、いくつか挙げられるような気がする。
まずは小学生の頃の夏休みのTVの影響がたいへん強いように思う。毎週日曜日の午前11時頃からやっていた「ターザン」と「兼高かおる世界の旅」である。元オリンピックの水泳選手のジョニー・ワイズミュラーという人がターザン役で美女のジェーンとチンパンジーのチータを連れて、動物を大量に殺したり、村人たちを困らせる悪人たちをやっつけるお話であったような気がする。ナイフをくわえて木のツタからツタへ飛び移り、ワニと闘うシーンなどは実に格好良かった。

もう一つはインド系の美女の兼高かおるというおばさんが世界中を旅して、酋長にあったりいろんな物を食べたりするお話である。その頃の兼高さんはたいへん若かったんだろうけど、小学校4年生の未だほっぺたの赤い私にとってはおばさんに見えた。この頃の純粋な私にとってはこの2つの番組を一度に見て、更に夏休みに拍車がかかり目を爛々と輝かせて、虫かごをぶら下げ、タモを持ってランニングシャツに麦わら帽子をかぶり、愛車の自転車にまたがって出かけたものである。
しかし、これらはTVの中のお話で私の住んでいた新潟の田舎とは全く縁遠いものであった。当然その頃の私は世界地図を広げたこともなければ、外人にあったこともなかった。せいぜい私の知っている世界は自転車で飛び回れる東西南北半径2kmくらいが自分の世界だったような気がする。唯ひたすらトンボやメダカを追っかけて山や川に出かけていくのが日課だった。

この年の夏休みに私は初めてチーズというものを食べた!裏のアキちゃんが旨そうに食べているのを見て、一つ貰った。確か雪印の三角形の奴だった。私が家の裏庭でこっそりと隠れながら食べていたら、後ろから突然じいちゃんが現れて「こら!そんな石鹸みたいなものを食べるんじゃない!!」と叱られてしまった。私が「石鹸じゃないよ!チーズって言うんだよ!!」と言うと、じいちゃんは「むっ!」と厳しい顔つきなって、ザクロの木を見つめながら「戦争には負けとうない!こんな子供までがこんな石鹸みたいなものを食べさせられて・・・・」と悲しげな顔で溜息をついていた。
この年私は初めて戦争という言葉を耳にし、初めて南を見たような気がした!

ジープ島、Jeep島、第10話 「幻の沈船調査隊!」 (2003年7月)

先日キミシマ環礁のオーナーの所に行こうと決めて、ブルラグーンダイブショップの前を歩いていたら、突然アッピン(ブルーラグーンのオーナー)が現れ、「どこに行くんだ?」と聞かれたので「これから俺はキミシマ環礁の沈船調査を行う!今からキミシマのオーナーに会うつもりだ!!」と力強く言ったまでは良かったんだが・・・その後が悪かった!彼曰く「それっ!太刀風だろ?もう十年以上前に俺が調査したよ!!」という答えが返ってきて、いきなり出鼻をくじかれ拍子抜けしてしまった。
キミシマ半分のオーナーの名前は旧約聖書に出てくるようなモーゼスという名前の人で・・・白い髭をはやして長い杖なんかを持っている逞しそうな老人を想像したくなるんだが・・・結局の所、夏島にはいかず木の下に腰を下ろしてアッピンの話を聞くことになった。

彼の話によると・・・10年以上前にKlaus Lindemannという沈船好きのドイツ人がいて、どうやらその人と調査を行ったらしい!このときトラック環礁に沈む沈船で、まだ発見されてなかったKATSURAGISAN−MARUという船をブルーラグーンの船にセンサー(感知機)をつけて、海面を流し探し出したということである。大きな船に専門化が乗りこみ画面に沈船の影が写るのを追い、発見後ダーバーがビデオを持って入り撮影を行うという作業であったらしい。そのときにキミシマ付近に沈むと言われている駆逐艦太刀風にも挑んだそうである。しかし数度に渡って、沈ずんでいるとおもわれる海域を調べたがその影は見つからなかったということである。
教授の書いた「今だ船は発見されておらず、おそらくリーフから深い海の底へと・・・」という一節が、その様子を物語っているわけである。

アッピンに別れ際に「行っても無駄だぞ!水深は100mくらいはあるんだ!!例え50m地点まで行っても船は見えやしないだ!!!」と念を押されたので、私は一人しょんぼりと肩を落とし、部屋に帰ることにした。
部屋の中で居心地の悪いやけに堅いベッドに横になりながら、溜息を憑きつつコーヒーカップを斜めに口に当てた瞬間、タイミング悪くコーヒーを半分ほどシーツの上にこぼしてしまった。「あーあー!夢破れて山河あり!じゃなく、夢破れてシミあり!沈船今だ見つからず!!といった感じだな?」なんてことを一人呟きながら、ふと書棚を見つめていたら下の方に随分前に買ったと思われる沈船の本が目に留まった!

それはDAN E BAILEYというアメリカ人の書いた「World War II Wrecks of the trukLagoon」という本であった。なにげなくその本をペラペラめくっていたら・・・なんと461ページ目にキミシマ環礁のリーフに近い外洋側に未だ浮かんでいる太刀風の写真を見つけてしまったのである。私はベッドから這い出し、机に向かい虫眼鏡を探し出して、何度もその写真を見た!・・・まさしく60年前に撮影された無傷の駆逐艦太刀風なのである。これを見た瞬間再び私の脳細胞は激しく働きだし、少年の心が目覚め、科学者の目が爛々と輝き出したのである。「これは面白い!この写真は・・・」

ある資料にはこう書かれてあった。「1944年2月4日ラバウルからトラックへ航行中、キミシマ環礁で座礁し引き降ろし作業中、2月17日アメリカの空母艦載機の爆撃を受けて沈没!」これを読んでもう一度写真を見ると確かに船首と思われる個所がかなりリーフの浅瀬に突っ込んでいるのが伺える。太刀風は駆逐艦なのでトラック環礁内に沈んでいる文月クラスの船である。そうなると大きさは全長105mくらいである。この写真の様子では船首部分が15−20mくらいリーフに入っていることになる。あきらかに座礁していることがかわる。なーるほど!

この写真の下にこのように記されてあった。「photo taken by USS Enterprise plane shows Tachikaze hard aground on southwestern reef of Koup Atoll」
更に次ぎのページには太刀風の位置を示す英文が書かれてあった。「The Tachikaze was grounded approximately half way down the reef at the right beyond the reef promontory.」
この文章からして既に教授が見ている太刀風の位置を示した地図がほぼ正しいと思われる。キミシマ環礁の右のリーフには3−4つのチャネル(水路)がある。おそらくブルーチャネルから次ぎのチャネルとの間に位置しているはずである。60年前の写真を見ても太刀風の両脇にはチャネルは一切ない!

ここで私にはあることが閃いた!ブルーチャネルのリーフに沿った外洋側の深さは約50mくらいである。その次ぎのチャネルの間がとても100mあるとは思えない。リーフのすぐ脇に沈んだのであれば、それほど深くないはずである。そう考えると座礁した太刀風がアメリカ軍の攻撃を受けた時、既にリーフから出たところをやられたのか?或いは作業中攻撃を受けて船尾付近穴が空き、そのまま斜めに外洋側に動きながら沈んでいったのか?
またこのような100mを越す駆逐艦が大型の台風などによって位置を変えるということがありうるのか?1950年以降1987年まででここトラック諸島には全部で9つの台風があり、その間にひとつ馬鹿でかいのが来ている。ここでの台風は西風が大きくなり荒れ出すわけだから、外洋側に沈んでいた船が多少なりともリーフ側に動くことがあるのかどうか?・・・・極めて謎!謎!謎!である。

こんなことを夜な夜な考えてると眠れなくなってしまうので、ひとつの結論を出すことにした。来月セスナ−をチャーターして写真とビデオの両方で撮影を行いたいと思っている。ちなみにどなたか「幻の沈船調査隊」に加わりたいと言う人いないかな???まーいまどきこのご時世でそんな暇な奴はいないか?
かくして沈船の夢は9月に持ち越された!発見できるか?或いは本当に幻の沈船と化すか?神のみぞ知る!といった所でしょうね?
ちなみにひろ吉は「漂えど未だ沈まず!!」といった感じでしょうか??なんなんでしょう!これは・・・・

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